もっぱらツイッターでふざけたつぶやきしかしなくなり、ブログも書かなくなったのだけど・・・
いずれまた使い出すかもしれないので死守したい。

個人サイトの文化というのは、ほぼほぼ消え去ってしまったのだけど、自分としては、いわゆる「ホームページ」、ネット上の家のようなもので、自分の住まいはここ、という気持ちがやっぱりある。

ここがネット上の自分の個人的なスペースで、他の場所は、よそへ出かけていってるイメージ。ツイッターはやっぱり広場、外、って感じ・・・

一時入り浸ってたpixivもほとんどみなくなったので、文化の移り代わりは激しいな、と実感。
twitterはどうなるんだろう?

そういえば、大昔に買ったcd-romに焼かれたCG集みたいなの出てきて、懐かしい名前の絵描きたちがそこにいて・・・
 でも、検索かけてもほとんどがいなくなってしまってる。寂しいな、どうしてるんだろう、と気になるのだけど、もう出会えることなんてきっとない・・・

所詮、一期一会。儚い。


拙くても、もっとネットの海に自分の作品を流すべきかもしれないな・・・
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 「鉛筆等で書くと、紙の上で練り上げるような書き方になり時間がかかる。 消しゴムで消せないペンなどで絵を描くようにすると、描く前に、描こうとする線が見えてる必要あるので、矯正されて、一撃で絵が描けるようになる」

 というような話を聞いたことがあるので、たまにボールペンでイラストの練習するようになった。
 そうして実感したのは、ボールペンも種類によって書き味が全然違い、気分よく書けるものとそうでないものがある。それによって、自分の絵の質や「学び・気づき」も変わってくる、ということ。
 なので、自分が描きよいものを選ぶことが重要になってくる。

というわけで、ボールペンの話。

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ツイッターのつぶやきを少し整理しつつ、プラスアルファ。ぶつぶつ考えてた思考。
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1、はじめに
●実務・事務・作業は関係を亡骸にする?
 なんというか最近、かつてひらいたはずの悟りが 閉じてる気がする。多分日々の疲れと痛みと迷走のせいかと思うのだけど。仕事疲れだ。
 ここから少し思ったのだけど、実務・事務・作業…etcというものは、自己・他者・世界の内奧から遠ざかっていくベクトルをもっているのではないか・・という話だ。

 


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 鉛筆
次は芯ホルダー。
 画像右の3本は。全て、ユニホルダー
 他にもロットリングとかがあるらしいけれど、とりあえずこれを買ってみた。

 電動鉛筆削りがすぐ使えるときには、鉛筆でいい。もちろん、削る時間も短い鉛筆の方が効率がいいし、何より使い慣れてて持ちやすい。
 そうでないときは、2mm芯ホルダーに頼ることになる。芯ホルダーは携帯性に優れてて、書き味が鉛筆に似ているところがよい。

 僕の場合は、もっぱら電車の中でスケッチブックにラクガキするか、パソコン前でラクガキするか、というときに使う。 
 中には、「これでなきゃ絵が描けない!」ていう人もいるらしい。

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何となく気が向いたので道具紹介
とりあえず鉛筆から紹介。

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1、「現在」という認識は3秒
→3秒以内で紡ぐと「現在の連鎖」になる
→逆に3秒以上使うと、急速に「時間の経過」といったような、「時間感覚」が立ち上がってくる。
→つまり、その作品が「時間についてどう考えているか」という認識の、部分的な表現になる。

2、行動・現象→コトバ(名づけ)のプロセス
→常に「何か」が起こってから、言葉が生まれる
→つまり、言葉は現象の「認識」と「解釈」。「何が起こり、それをどう認識したか」
→さらに、そういった「認識の言葉」は、「名づけ」・「定義」となり、連鎖していく。
→連鎖が「連想」になって拡散していくのか、「選択」となって収束していくか

3、誰が見た世界を提示するか
→「世界は誰かが見ることによって、一つの形態を成す」

4、「~でない」という思考法。差異の体系。
→「私は人間である」というとき、その裏に「私は犬ではない」「私は猫ではない」・・・という言葉が含まれている。
→つまり、「~である」という言葉に中には、それに反する多くの「~ではない」が内包されている。
→そうした差異の体系は、物事のラベリング(選別、選択)一つの世界認識のあり方。

5、自己認識へと到るには
→「経験」→「経験の解釈」という、人間の基本的人格形成。
→「経験の解釈」を揺さぶるような現象に遭遇→自身の「経験の解釈」と相対化。
→自分の「経験の解釈」が、一体なんだったのか、というさらに一段上から俯瞰的に自分の考えなどを知る

6、因果、縁起、バタフライエフェクト。散逸構造
→すべてがひものようにつながり連鎖している。
→部分を観ればばらばらに見え、混沌としていても、そこから一段俯瞰してみれば、ある一つの「構造」をなしている状態。「カオスは秩序の一形態」

7、人・時間・空間という物語基礎・基盤と、物語の個別性
→物語の基礎構成要素「人」「空間」「時間」の構成、構造。
→それに加えて、物語にはそれぞれ個別に、もういくつかの構成要素を持っている。
→「人・空間・時間・何か」のそれぞれ相互関系やもつれの詳細を見る、あるいは語りだす。
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 そろそろ、ちゃんと見ること・読むことを、書くこと・描くことへつなげていくことが大事なんだと思った。



 最近、色々思うところあって、自分の根源的な部分に関する確信みたいなものを得た。つまり、「ああ、俺にはこれしかなかったんだな」という。
 そういう確信が、多分見ること読むことの姿勢、視線もまた、確たるものにしていくんだと思うんだけど。

 では、その「見ること・読むこと」をどう「書くこと・描くこと」に繋げていくか。

 この問題に、やはりぶち当たるのだった。これは、ずっと前から自分がぶち当たってきた課題でもある。
 
 どうにもここが上手くつながらない、そしてそれがつながらないから、語りだせない、語りだすものに力が宿らない。
 

 さて、近頃、それを繋げるための一つの予感(?)を持てた。忘れないためにちょっと記しておこうと思う。

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半年は、まず最低限の基礎技術の修得。
その次の半年は画力の向上と、動きのアイデアや演技を学ぶ
その次の2年は、実際にちょっとずつ自分の演技やライン、タイミングを入れていく。ちょっとずつよりよく改変する。
多少怒られてもいいじゃない。

で、そこでなるべく上に上がれるように…
上がれれば、演出とかもっかいきっちり学ぶ
試験あれば試験受けてもいいし
それも3年で。


すると31では立派に一人立ちできる計画
きっちり企画上げたりなんかしながら、機会を待つ。世にフィルムを出して、社を大きくする機会。
ベンチャー精神は多分大事。

まぁ、こう簡単にはいかないだろうけど
この先6年が勝負だし、踏ん張りところ!
がんばる!まじで!

常に人生瀬戸際だけど、ソレぐらいがちょうどいい。
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 過去を振り返ると、

がんばってるつもりになってるだけ
人並みのことが何もできない
生きてるだけで誰かの邪魔をしている
いざというときに役立たずで使えない
無能、頭が悪い
根性なし、臆病

ということをつくづく思い知らされるのだけど。こんなゴミクズが生きてて、まじめにコツコツやって能力の高い誰かが死んでいる。
 けどこれは、一つの自分の転換にもなってて。

 誰の役にも立てない、期待に応えられないからこそ、それらから自由となった。
 自分には、「何もできない」。できることは何もない。
 
 ならば、一体「何がしたいのか」。


 こう考えると、どのように罵られても、気にならなくなる。いや、やっぱり少しは気になるけど。だって、「無能のゴミ」なんだから、罵られて当然。
 ただもう、「がんばってるつもり」になるしかない。どんなに罵られようと、結果が出なかろうと、全身全霊ががんばる、それ以外に、何かできることはあるか。何もない。ただもう、がんばるしかない。
 何を言われようと、それは、結果のキャプションに過ぎないのだから。
 
 
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 嫌悪の哲学。
 何が好きかはいえないけれど、何が嫌いかはいえるということ。何が嫌いかという生き方をする人間。
 こういう極端で戯曲的人間の方が、分かりやすくて、支持を集める。ヒトラー然り。
 
 「世界は、思ったよりシンプルだ」というコトバは、世界を単純化したい人間の信仰でしかない。
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