上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
web拍手
IMGP0575.jpg
 「鉛筆等で書くと、紙の上で練り上げるような書き方になり時間がかかる。 消しゴムで消せないペンなどで絵を描くようにすると、描く前に、描こうとする線が見えてる必要あるので、矯正されて、一撃で絵が描けるようになる」

 というような話を聞いたことがあるので、たまにボールペンでイラストの練習するようになった。
 そうして実感したのは、ボールペンも種類によって書き味が全然違い、気分よく書けるものとそうでないものがある。それによって、自分の絵の質や「学び・気づき」も変わってくる、ということ。
 なので、自分が描きよいものを選ぶことが重要になってくる。

というわけで、ボールペンの話。

【続きを読む】

スポンサーサイト
web拍手


 私はこのアニメ映画を見終わったすぐ、「鬱アニメだ」と感じた。とても、悲しい物語なのだと。
けれども、よくよく物語が何を描いてきたか、仔細に考え始めると、これは、一つの切ない希望の物語だったのだと思った。
距離と時間と速さ、記憶と想い――そうして紡がれていく物語。

少し、そんな話をしたい。

描写してみよう。

【続きを読む】

web拍手
感想……というより、素描であり、見てない人に向けた短いガイドでもある。本編の肝心なネタバレなしです。
-----------------------------------------------------------

 少年の傷と少女の傷は違う。
 少年にとって大事なのは「遠さ」であり、少女にとって大切なのは「近さ」なのである。
 だから、少女にとって「身近」が崩壊する、というのは、世界の崩壊と同義なのだ。

 この映画もまた、身近の崩壊した少女の物語だった。
 他の誰かからみれば、些細な痛みでも、少女にとっては、耐え難い痛みを少女は抱えている。心はがさつき、とげを含み、そのとげで他者も自分も傷つけている。

 それはたとえば、リュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」で、ジャンヌを戦争へと駆り立てたモノだし、ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」でアナがイザベルを見て感じた感情もそこに由来するかもしれない。
 同じアニメでいえば、「カードキャプターさくら」で桜に言わせれば、「それは、とっても悲しいこと」なのだ。
 「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」に、こんなセリフがある。

「あなたが、もう二度会えないほど遠い所に行っちゃって、なのに世界中の誰もかもがそのことを忘れちゃって、私だけがまどかのことを覚えてるたったひとりの人間として取り残されて...寂しいのに、悲しいのに、その気持ちを誰にもわかってもらえない」

 あるいは、「たまこラブストーリー」にこんなセリフがある。

「なんで。なんで、なんで東京行っちゃうの?遠いよっ?東京遠いよっ!?」
「ずっと近くにいたのになんで離れちゃうの?」

 つまりは、そういうことだ。どちらも、同じ心の向きである。

 繰り返すが、少女にとって、大切なものは「近さ」である。
 少女が回復するには、崩壊した身辺を取り戻すこと以外にない。「身近」の回復こそが、少女の傷心を癒すのだから。

 そういうものが、シンプルだがそれなりに丁寧に描かれた映画であった。

 なので、たとえばアムロ・レイが、実家の母に背を向けて戦場に帰っていくような話を好む人には、おそらく合わない映画だろうと思う。男性的文法に支配された人間には、おそらく決して理解できない。
 小学生に見せても、分からない子が多い映画だろう。
web拍手
SN3V0297.jpg

 鉛筆
次は芯ホルダー。
 画像右の3本は。全て、ユニホルダー
 他にもロットリングとかがあるらしいけれど、とりあえずこれを買ってみた。

 電動鉛筆削りがすぐ使えるときには、鉛筆でいい。もちろん、削る時間も短い鉛筆の方が効率がいいし、何より使い慣れてて持ちやすい。
 そうでないときは、2mm芯ホルダーに頼ることになる。芯ホルダーは携帯性に優れてて、書き味が鉛筆に似ているところがよい。

 僕の場合は、もっぱら電車の中でスケッチブックにラクガキするか、パソコン前でラクガキするか、というときに使う。 
 中には、「これでなきゃ絵が描けない!」ていう人もいるらしい。

【続きを読む】

web拍手
SN3V0204.jpg
何となく気が向いたので道具紹介
とりあえず鉛筆から紹介。

【続きを読む】

web拍手
1、「現在」という認識は3秒
→3秒以内で紡ぐと「現在の連鎖」になる
→逆に3秒以上使うと、急速に「時間の経過」といったような、「時間感覚」が立ち上がってくる。
→つまり、その作品が「時間についてどう考えているか」という認識の、部分的な表現になる。

2、行動・現象→コトバ(名づけ)のプロセス
→常に「何か」が起こってから、言葉が生まれる
→つまり、言葉は現象の「認識」と「解釈」。「何が起こり、それをどう認識したか」
→さらに、そういった「認識の言葉」は、「名づけ」・「定義」となり、連鎖していく。
→連鎖が「連想」になって拡散していくのか、「選択」となって収束していくか

3、誰が見た世界を提示するか
→「世界は誰かが見ることによって、一つの形態を成す」

4、「~でない」という思考法。差異の体系。
→「私は人間である」というとき、その裏に「私は犬ではない」「私は猫ではない」・・・という言葉が含まれている。
→つまり、「~である」という言葉に中には、それに反する多くの「~ではない」が内包されている。
→そうした差異の体系は、物事のラベリング(選別、選択)一つの世界認識のあり方。

5、自己認識へと到るには
→「経験」→「経験の解釈」という、人間の基本的人格形成。
→「経験の解釈」を揺さぶるような現象に遭遇→自身の「経験の解釈」と相対化。
→自分の「経験の解釈」が、一体なんだったのか、というさらに一段上から俯瞰的に自分の考えなどを知る

6、因果、縁起、バタフライエフェクト。散逸構造
→すべてがひものようにつながり連鎖している。
→部分を観ればばらばらに見え、混沌としていても、そこから一段俯瞰してみれば、ある一つの「構造」をなしている状態。「カオスは秩序の一形態」

7、人・時間・空間という物語基礎・基盤と、物語の個別性
→物語の基礎構成要素「人」「空間」「時間」の構成、構造。
→それに加えて、物語にはそれぞれ個別に、もういくつかの構成要素を持っている。
→「人・空間・時間・何か」のそれぞれ相互関系やもつれの詳細を見る、あるいは語りだす。
web拍手
 そろそろ、ちゃんと見ること・読むことを、書くこと・描くことへつなげていくことが大事なんだと思った。



 最近、色々思うところあって、自分の根源的な部分に関する確信みたいなものを得た。つまり、「ああ、俺にはこれしかなかったんだな」という。
 そういう確信が、多分見ること読むことの姿勢、視線もまた、確たるものにしていくんだと思うんだけど。

 では、その「見ること・読むこと」をどう「書くこと・描くこと」に繋げていくか。

 この問題に、やはりぶち当たるのだった。これは、ずっと前から自分がぶち当たってきた課題でもある。
 
 どうにもここが上手くつながらない、そしてそれがつながらないから、語りだせない、語りだすものに力が宿らない。
 

 さて、近頃、それを繋げるための一つの予感(?)を持てた。忘れないためにちょっと記しておこうと思う。

【続きを読む】

web拍手
・今年はじめにツイッターで書いた駄文の、少々補遺したもの
・もう今は、ここからさらに考えが発展していってる気がするのだけど、とりあえず参考がてらに、このまままとめておく

【続きを読む】

web拍手
 「少年」と「少女」の違いについてのお話。
 あくまで括弧つきの「少年」と「少女」です。「ジェンダー」というより、もっと根源、「セックス」的な「“性”質」についてのお話。


------------------------------------------------------------------------
 

【続きを読む】

web拍手
 ある小さな村に、一匹の勇敢なこぶたがいました。こぶたは言いました。――オオカミを喰ってやる!
 その村には、伝説がありました。知恵を尽くし、オオカミを喰った英雄コブタスの伝説です。勇敢なこぶたは、村の人たちの制止もきかず、村を飛びだしました。
 勇敢なこぶたは、伝説のとおりに、レンガの家を建てました。窓には鉄格子をはめ、鉄の扉もつけました。そして、煙突の下には、大なべを置きました。――よし、これで準備は整った。後はオオカミを待つだけだ。
 勇敢なこぶたは、オオカミを、待って、待って、待ち続けました。そしてついに、空腹で、我慢ができなくなりました。
 勇敢なこぶたは、カブやリンゴを取りに出かけようと、鉄の扉を開けました。すると、扉の向こうには、オオカミが待ち構えていました。勇敢なこぶたは、オオカミに食べられてしまいました。

 オオカミの村にも、こんな言い伝えがありました。――レンガの家には気をつけろ。押しても吹いてもビクともしない。たった一つの入り口には、危険な罠がしかけてある。それでも宝が欲しいのなら、忍耐強く待ち続けよ――と。

(J・ジェイコブ作「三匹のこぶた」より)
web拍手

| main | next »

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。