◎わたてんの思い出、備忘録1~4話、OP
 自分自身、とても成長させてもらい、また救われた作品になったので、気持ちを忘れないように(あと、気持ちの整理も兼ねて)備忘録つけとく。

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もっぱらツイッターでふざけたつぶやきしかしなくなり、ブログも書かなくなったのだけど・・・
いずれまた使い出すかもしれないので死守したい。

個人サイトの文化というのは、ほぼほぼ消え去ってしまったのだけど、自分としては、いわゆる「ホームページ」、ネット上の家のようなもので、自分の住まいはここ、という気持ちがやっぱりある。

ここがネット上の自分の個人的なスペースで、他の場所は、よそへ出かけていってるイメージ。ツイッターはやっぱり広場、外、って感じ・・・

一時入り浸ってたpixivもほとんどみなくなったので、文化の移り代わりは激しいな、と実感。
twitterはどうなるんだろう?

そういえば、大昔に買ったcd-romに焼かれたCG集みたいなの出てきて、懐かしい名前の絵描きたちがそこにいて・・・
 でも、検索かけてもほとんどがいなくなってしまってる。寂しいな、どうしてるんだろう、と気になるのだけど、もう出会えることなんてきっとない・・・

所詮、一期一会。儚い。


拙くても、もっとネットの海に自分の作品を流すべきかもしれないな・・・
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IMGP0575.jpg
 「鉛筆等で書くと、紙の上で練り上げるような書き方になり時間がかかる。 消しゴムで消せないペンなどで絵を描くようにすると、描く前に、描こうとする線が見えてる必要あるので、矯正されて、一撃で絵が描けるようになる」

 というような話を聞いたことがあるので、たまにボールペンでイラストの練習するようになった。
 そうして実感したのは、ボールペンも種類によって書き味が全然違い、気分よく書けるものとそうでないものがある。それによって、自分の絵の質や「学び・気づき」も変わってくる、ということ。
 なので、自分が描きよいものを選ぶことが重要になってくる。

というわけで、ボールペンの話。

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 私はこのアニメ映画を見終わったすぐ、「鬱アニメだ」と感じた。とても、悲しい物語なのだと。
けれども、よくよく物語が何を描いてきたか、仔細に考え始めると、これは、一つの切ない希望の物語だったのだと思った。
距離と時間と速さ、記憶と想い――そうして紡がれていく物語。

少し、そんな話をしたい。

描写してみよう。

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感想……というより、素描であり、見てない人に向けた短いガイドでもある。本編の肝心なネタバレなしです。
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 少年の傷と少女の傷は違う。
 少年にとって大事なのは「遠さ」であり、少女にとって大切なのは「近さ」なのである。
 だから、少女にとって「身近」が崩壊する、というのは、世界の崩壊と同義なのだ。

 この映画もまた、身近の崩壊した少女の物語だった。
 他の誰かからみれば、些細な痛みでも、少女にとっては、耐え難い痛みを少女は抱えている。心はがさつき、とげを含み、そのとげで他者も自分も傷つけている。

 それはたとえば、リュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」で、ジャンヌを戦争へと駆り立てたモノだし、ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」でアナがイザベルを見て感じた感情もそこに由来するかもしれない。
 同じアニメでいえば、「カードキャプターさくら」で桜に言わせれば、「それは、とっても悲しいこと」なのだ。
 「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」に、こんなセリフがある。

「あなたが、もう二度会えないほど遠い所に行っちゃって、なのに世界中の誰もかもがそのことを忘れちゃって、私だけがまどかのことを覚えてるたったひとりの人間として取り残されて...寂しいのに、悲しいのに、その気持ちを誰にもわかってもらえない」

 あるいは、「たまこラブストーリー」にこんなセリフがある。

「なんで。なんで、なんで東京行っちゃうの?遠いよっ?東京遠いよっ!?」
「ずっと近くにいたのになんで離れちゃうの?」

 つまりは、そういうことだ。どちらも、同じ心の向きである。

 繰り返すが、少女にとって、大切なものは「近さ」である。
 少女が回復するには、崩壊した身辺を取り戻すこと以外にない。「身近」の回復こそが、少女の傷心を癒すのだから。

 そういうものが、シンプルだがそれなりに丁寧に描かれた映画であった。

 なので、たとえばアムロ・レイが、実家の母に背を向けて戦場に帰っていくような話を好む人には、おそらく合わない映画だろうと思う。男性的文法に支配された人間には、おそらく決して理解できない。
 小学生に見せても、分からない子が多い映画だろう。
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1、はじめに
 「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」のBDようやく見た。やっぱり見るたびに発見がありすぎて、似て非なる感想になるから、この作品は多くのものがつまりすぎてると思う。すごすぎ。
 思えば、これまでは、そういう風に作られた作品にあんまり凄い!と思える作品って、少なかった気がする。

 宮崎駿さんを筆頭に、押井守さん、今敏さんにしても、細田守さんにしても、ある種のワンマン性というか、一貫性というか、一つの人間の修行や研究の「果て」、究極の瞬間に生み出される物語の方が力あると思っていた

 いろんな人が、色んなことを思いながら、ぼんやりしたカタチで作った作品って、散逸的になりやすい。ぼやけた形になると思ってた。実際、そういう作品も多いと思う。
 だからこそ、個人の思想の振り切れたところに、日本の作品のスイ(粋・遂)があると思っていた。


 ところがどっこい、まどかは違う。
 極端な話、一つのカットをとっても、そのカットに関わった監督・コンテ・作画監督・原画・動画・背景・仕上げ・音響監督・作曲・声優…それぞれが「違う思惑・願いの基に」作っているような気がする。

 物語は歪で、複層性があり、多旋律的で、葛藤と試行錯誤を含みこんでる。それなのに、いや、「「それであるがゆえに」凄いものになってる」――という奇跡。間違いなく奇跡だと思った。

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ツイッターのつぶやきを少し整理しつつ、プラスアルファ。ぶつぶつ考えてた思考。
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1、はじめに
●実務・事務・作業は関係を亡骸にする?
 なんというか最近、かつてひらいたはずの悟りが 閉じてる気がする。多分日々の疲れと痛みと迷走のせいかと思うのだけど。仕事疲れだ。
 ここから少し思ったのだけど、実務・事務・作業…etcというものは、自己・他者・世界の内奧から遠ざかっていくベクトルをもっているのではないか・・という話だ。

 


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 鉛筆
次は芯ホルダー。
 画像右の3本は。全て、ユニホルダー
 他にもロットリングとかがあるらしいけれど、とりあえずこれを買ってみた。

 電動鉛筆削りがすぐ使えるときには、鉛筆でいい。もちろん、削る時間も短い鉛筆の方が効率がいいし、何より使い慣れてて持ちやすい。
 そうでないときは、2mm芯ホルダーに頼ることになる。芯ホルダーは携帯性に優れてて、書き味が鉛筆に似ているところがよい。

 僕の場合は、もっぱら電車の中でスケッチブックにラクガキするか、パソコン前でラクガキするか、というときに使う。 
 中には、「これでなきゃ絵が描けない!」ていう人もいるらしい。

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何となく気が向いたので道具紹介
とりあえず鉛筆から紹介。

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●ほむらにとって、世界のすべてであるまどか
 
 そもそも、暁美ほむらには素質があった。
 局所的とはいえ、異なる時間軸を渡り歩くというのは、異なる宇宙の創造に他ならない。「たった一人の友達」まどかのためだけど、己の魂と祈りの全てを差し出した少女が、どんな条理を覆しても、驚くには値しない、ということなのかもしれない。

 ほむらにとってのまどかは、この世界の全てであり、世界そのものだ。
 だから、まどかがはるか遠く彼方にいってしまうというのは、ほむらの世界の崩壊に他ならない。

●「少女」と「世界」の関係
 そもそも、少女にとって、身近の喪失は、世界の喪失に他ならない。
 CCさくらを思い出す。「みんなが一番好きな人への気持ちを忘れてしまう」「それは、とっても悲しいこと」
 こうして、少女の魔法は生まれる。自分のもっとも大切な人を守るために。自分の、何ものにもかえがたい、かけがえのない身近を守るために。

 少女にとっての世界は、身近なモノだ。いや、身近なものだけが、少女の世界足りえる。身近でなくてはダメなのだ。

●「魔法少女」と「魔法少女っぽいもの」

 いわゆる魔法少女ものと言われる作品は、少女の「身近」やら「身辺」やら「ご近所」やら(の内側)を丹念に描き込んだものになっていて、かつそれは壊れてはいけない、失くしてはいけない大切なものとして表現され、また、主人公(達)の魔法は、それを守るための力として用いられるという展開になっていく。

 ところが、「魔法少女まどか☆マギカ」の魔法少女たち、みな身近が崩壊していた。
 一番大切な家族を失い、帰る場所を失い、自らの生を願いながら、実のところそれは、人間としての死に他ならなかった巴マミ。
 魔法少女になり魔法を行使することが却って、自分の祈りを裏切り、最も大切な身近である家庭の崩壊を招いた佐倉杏子。
 魔法少女になったことで、一番大切な友達を傷つけ、恭介や仁美との関係も歪になっていってしまった美樹さやか。
 そして、繰り返しても繰り返しても、たった一人の友達まどかを救えないほむら。

「繰り返せば繰り返すほど、あなたと私が過ごした時間はずれていく。気持ちもずれて、言葉も通じなくなっていく。たぶん私は、もうとっくに迷子になっちゃってたんだと思う」

 身近の喪失、世界の喪失である。

 それは、もはやこれまでの文法からいえる「魔法少女の魔法」ではない。希望や幸福が遠のき、身辺を壊す魔法など、「少女たちの魔法」ではなく、「魔法っぽいもの」としかいえないだろう。希望」や「願い」を裏切ってしまう力など、そもそも魔法少女の魔法ではない。
 つまりは、キュゥべぇの用意した「魔法少女」もまた、「魔法少女っぽいもの」でしかないのだ。

●「魔法少女の条件」
 思えば、キュゥべぇが見る魔法少女になれる素質とは、こうした「壊れた身辺」だったのだろう。つまりそれは、魔女化する素質、ともいえる。ジャンヌダルク然り。そうした少女を選んだのだ。
 壊れた身辺を抱える少女は、歪な世界を呼び寄せ、引き込んでしまうのだ。それは、魔法少女にならされてしまう少女たちの姿からも見てとれるだろうし、魔女の結界に人々を引き込む魔女たちの姿とも重なる。

 少女の祈りと、キュゥべぇの約束する魔法は、常に矛盾している。
 さやかや、杏子をみれば、もはや語る必要もないだろう。すでに綻び、崩壊しかけていた身近だが、魔法を行使すればするほど、少女たちの幸福や祈り、願い、希望からは遠のき、より大きな破壊をもたらしてしまう。

●まどかの魔法

 まどかもまた、最も大切な「身近」を忘却していた。
 確かに一見、他の少女たちとまどかは違って見える。家族はいるし、友達もいる。
「何一つ不自由ない暮らしをしているやつがさ、気まぐれで魔法少女になるってんなら、そんなのあたしが許さない」とは、杏子の弁だ。
 けれども、まどかはもっとも大切なものを忘れていた。 

 「あなたは私の、最高の友達だったんだね」

 まどかの「身近」で、最も重要な人物は、暁美ほむらだったのだ。
 そして、そのことを忘却してしまっていたことが、まどかの「身辺」の喪失だった。微妙なパラドックスではあるが、まどかもまた、ほむらから遠ざかれば遠ざかるほどに、そして、ほむらがまどかへのこだわりを強めれば強めるほどに、「彼女の最も大切な身近」が、壊れていく、というカタチになっていた。
 もつれ合う糸、である。まどかはほむらに因果の糸を紡がれながら、同時にそれは、ほむらを因果の糸で繋ぎとめることでもあった。

「今の私になったから、本当のあなたを知ることができた。私には、こんなにも大切な友達がいてくれたんだって」

 つまりは、「魔法少女まどか☆マギカ」は、まどかの「身辺」回復に至るまでのプロセスにもなっていた。まどかがそれを回復したことによって、キュゥべぇの用意した「魔法のようなもの」ではなく、本当の「魔法」は生まれた。、真実のキセキになったのだ。
 少女の祈りから、魔法は生まれるのだ。偽りではない、TVシリーズの物語で達成された、たった一つの魔法である。


●ほむらの叛逆

 では、暁美ほむらは?彼女の身近、つまり世界は?彼女の祈りは?
 
 ほむらの世界とは、まどかである。ほむらの祈りは、まどかと共に迎える明日なのだ。
 すべては、そこから始まった、ほんの些細な叛逆の物語なのだ

 まどかは、いつでもそばにいる。どこにでもいる。まどかの願いも祈りの意味も、優しさも、すべて分かっている。
 分かりながら、まどかのいない世界で、たった一人取り残され、誰にも、わかってもらえない気持ちを抱え、寂しく、もう一度まどか声を聴きたい、まどかの笑う顔が見たい、あの頬に触れたい、手を握り返したい、抱きしめたい、あの優しい瞳を見つめ、見つめられたい。

 暁美ほむらは、真っ二つに引き裂かれた。
 彼女は、世界の理、上層へとシフトしたまどかのことを覚えていた分だけ、そして、異なる時間軸を渡り歩いてきたその分だけ、世界の理から半歩だけはみ出していたのかもしれない。

 境界線上にたゆたう彼女の魂は、いよいよ「抑えきれない感情」によって、破裂しそうになった。それはある種、一つの本当の魔法になって、彼女のソウルジェムを満たしていった。
 キュゥべぇが名づけた「絶望」や「呪い」によって、輝きは曇ったのではなく、彼女だけに分かる、彼女だけの感情によって、ソウルジェムは曇った。

 かつて、因果の糸をまどかに結ぶ、「紡ぎ手」であったほむらは、やはり同時に、因果の糸に絡め取られていた。キュゥべぇも予想し得ない、観測しえない「何か」…つまり、莫大な感情エネルギーを内に秘め、溜め込み、爆発させようとした。
 それは、キュゥべぇが用意し、魂を消費して発生するいわば偽者の魔法ではなく、彼女だけの本物の魔法だ。
 少女の感情は、キュゥべぇが一言で「希望と絶望」などと表記し押し込められるものではない。もっと微妙で、繊細で、渦巻いているものがたくさんある。
 
 過去も未来も痛みも感情もない一方向、一直線的で、しかもとんでもない破綻と欠陥を抱えこんだ歪で軋んだ「システム」に対する、少女たちの感情の、叛逆の物語なのである。
 
 かつてほむらがまどかに結んだ因果の糸。それに対して、まどかがほむらに結んだリボン。
 それをまた、ほむらがまどかに結び返す。

 新たに生まれた宇宙。それは、愛の結晶、魔法の断片だ。

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